東京 2020 オリンピック|ゴルフ競技
♦ 出場選手の選抜
出場資格は 6月のメジャー大会直後のワールドランキングがベースになり、そのトップ 15 に 2名以上の選手が居る国は 4名を上限に選手の出場枠を獲得するが、それ以外の国は 2名(国によっては 1名)の出場枠となる。因みに、アメリカ男子と韓国女子、アメリカ女子チームから 2名以上(4名)の選手が出場する。日本は 男子が 松山英樹、星野陸也、女子は 畑岡奈紗、稲見萌寧のそれぞれ2名が出場する。7月に入ってすぐに 松山選手のコロナ陽性が判明し その出場が危ぶまれたが 回復して 出場できるようになった。一方、ワールドランキング 1位の Jon Rahm が 直前に コロナ陽性になり出場できなくなった。また、2位のアメリカの Dustin Johnson が辞退するということもあるが そうした選手は 稀で ランキング上位の選手の殆どは 参加するので 極めてコンピティティブなフィールドになる。» 参考|男子ワールドランキング
♦ ゴルフコース|競技場
霞ヶ関カンツリー倶楽部は 都心からだと 関越自動車道から圏央道、圏央鶴ヶ島 IC で降りて 約 5km、また、西武新宿線・狭山市駅からは クラブバスだと 約 15分の所にある。このクラブには 東、西コースの 36ホールがあるが、競技が行われる東コースは 1929年に藤田欽哉、赤星四郎の両氏が設計したものを英国の設計家 チャールズ アリソン|Charles Hugh Alison が 1931年に 改造しているが、それを米国の Tom / Logan Fazio が 更に 2016年に改修したもので フルバックからの全長は 7,466-yard と世界の強豪が戦うのに相応しい長さもある。フラットなコースだが 目立たない微妙な起伏があり、池、バンカー、松林が戦略的に配置されおり アベレージ ゴルファーには 落とし穴が沢山あって 難攻不落なコースと言われている。そのラフを伸ばし、フェアウェイを絞って、更に難易度を高めるのだろうが、世界のトッププレーヤーは それを難なく攻略するのだろう。
♦ 出場選手とメダル候補
男子のフィールドは 前述のように アメリカから 4名:Justin Thomas (3) Collin Morikawa (4) Bryson DeChambeau (5) Xander Schauffele (6) が出場するので アメリカがメダルを取る可能性が高いが、6月の全米オープンに優勝し 世界ランク1位になった Jon Rahm を擁するスペイン、Rory McIlroy (10) Shane Lowry (42) が居るアイルランド、Paul Casey (20) Tommy Fleetwood (33) が出場するイギリスなどが有力メダル候補国だ。加えて、Cameron Smith (28) Marc Leishman (43) 擁するオーストラリア、Sungjae Im (26) Si Woo Kim (49) がメンバーの韓国なども侮れない。日本は 松山選手が出場できれば良いが 状況は 不透明と言わざるを得ない。
一方、女子は 韓国から 4名:Jin Young Ko (2) Inbee Park (3) Sei Young Kim (4) Hyo-Joo Kim (6)、アメリカから 4名: Nelly Korda (1) Danielle Kang (5) Lexi Thompson (9) Jessica Korda (13) が出場するので 韓国とアメリカがメダルを取る可能性が高い。他方、日本は 畑岡奈紗 (11) 稲見萌寧 (27) で 十分チャンスがあるが、他にも チャンスのありそうな国は多い。オーストラリア Minjee Lee (14) Hannah Green (15)、カナダ Brooke Henderson (7) Alena Sharp (143)、中国 Shanshan Feng (19) Xiyu Lin (68)、イギリス Melissa Reid (38) Charley Hull (41)、ドイツ Sophia Popov (23) Caroline Masson (66)、ニュージーランド Lydia Ko (10)、フィリピン Yuka Saso (8) Bianca Pagdanganan (163)、タイ Patty Tavatanakit (12) Ariya Jutanugarn (21)、スペイン Carlota Ciganda (32) Azahara Munoz (85)、スウェーデン Anna Nordqvist (49) Madelene Sagstrom (74) などにもチャンスはあろう。なお、世界ランク 8位の笹生優花は 母親の母国であるフィリピンから出場する。
♦ コース選定に係わる四方山話
実は 霞ヶ関カンツリー倶楽部の正会員に女性がなれないという会則が いかなる差別も禁じる五輪憲章の原則に抵触すると言うことが 2017年に問題になったことがある。ただ、2018年には 同クラブに3名の女性正会員が誕生し その問題は 解決された。差別に関わる問題は オリンピックだけに限られたことではなく、全英や全米オープンなどの競技会場になるゴルフコースでも 度々 問題になったテーマである。
何度も全英オープンをホストしてきたスコットランドの名門 ミュアフィールドは 女性差別のクラブのそしりを受け、2016年に 女性メンバーを受け入れるか否かでメンバー投票を行った。その結果は 僅差であったが 男性オンリーのクラブを守る決定であったために 将来の全英オープン開催コースの資格を失った。一方、そのオールドコースで知られる セント・アンドリュースは 2015年に 同様の投票を行い、女性にも会員資格が与えられて アン王女やアニカ・ソレンスタムらが会員になっている。
かつて、マスターズで知られる オーガスタ・ナショナル G.C. は その女性蔑視的な運営が問題になった時期があったが、2012年に ジョージ・ブッシュ政権下で 国家安全保障問題担当 大統領補佐官、国務長官などを歴任した 黒人女性 コンドリーザ・ライス (Condoleezza Rice) と サウスカロライナ州出身の財界人で 投資会社 レインウォーターのパートナー(同社創設者婦人)という肩書きのダーラ・ムーア (Darla Moore) という女性がメンバーに加わった。晴れて 2人の女性メンバーが加わったことで 状況が改善され 対外的な問題は 一応 解決されたが 将来 どれくらいの女性メンバーがオーガスタ・ナショナルに加わるかは 不透明で その男性中心のクラブという本質が変わるか 否かは 定かでない。なお、オーガスタ・ナショナルは インビテーション・オンリーで 会員を募っているクラブで その会則に 人種のことは 勿論のこと 性別についての規定を設けたこともない。いずれにせよ、2人の女性メンバーが加わったことを どう評価するかは 意見の分かれるところだろう。
世界中に女性会員を受け入れない 所謂 名門クラブが沢山あるのは 事実で それが女性差別撤廃、反差別活動のターゲットになっているようだが、それによって 少人数の女性メンバーを受け入れるクラブが増えて行くことで 世の中は 少しづつ変わって行くのだろうか。とは言え、プライベート・クラブのメンバーが その運営方針を自由に決めることが出来ない社会が好ましいと言えるのかは 疑問である。
ところで ゴルフの特異性は 野球、サッカー、バスケットボール、バレー、水泳、柔道など 多くのスポーツが決められたサイズの競技場や コートで行われるのに対し、ゴルフコースと言う 一つ一つの競技場の姿、形が大きく異なるフィールドで行われることにある。そして、世界 トップクラスのゴルファーが集って プレーをするとなると それに相応しい ゴルフコースの資質(難易度、観客収容力、風格など)が求められる。例えば、世界レベルのアルペンスキーの大滑降競技に求められる難易度があるように、ゴルフコースにも それなりの難易度が必要になる。世界レベルのプレーヤーの力と技の優劣を比べることが困難なゴルフコースでは ある意味 本当の競技が成り立たない可能性もある。一時、候補に上がった 若洲 ゴルフリンクスなどを使用する場合は それを改造して どこまでのことが出来るか。大きな疑問があると言わざるを得ない。
五輪憲章には 素晴らしいことが沢山記されているが、その中の一つに次のような記載がある。「オリンピック・ムーブメントの目的は いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。」
そもそも、いかなる差別とは 一体 どのように定義されるべきものだろうか。不当な理由をベースに 個人 または グループに対し 他とは 異なる取扱いをすること。そんな説明になるかも知れないが、どんな社会でも 女性と男性の違いを認め それぞれが異なる役割を担うことを前提とした文化や制度が存在している。男性が女性に優しくしたり、女性が女性らしく振舞うことなどは(そうは思わない人も居るだろうが)美しいことである。そして、良きにつけ 悪しきにつけ 伝統的に 男性中心、女性中心に行われることも生まれた。男性だけ また 女性だけ的な発想や願望が社会の成り立ちに大きな影響を与えたのは 間違いのないことだ。そうした中で、職場や家庭で 男性の役割を担う男たちが 女性が居ない一時と空間を求め それが出来る場所を作ったのかも知れないが、そうした結果を女性差別と呼ぶのは 行き過ぎたことのようにも思える。
昨今の欧米の潮流は 差別と考えられるものであれば何でも 悪のレッテルを張る。思想的なマイノリティーを許さない風潮がある。女性と男性が その文化や慣習に則って 役割分担することは 見方によっては 差別である。その国や地域の人間の大部分が 何の疑問もなく受け入れていることさえ 部外者である人間にとって差別に見えれば それが差別であることを知らしめる努力を払う。それが 先進国であり 文化水準の高い国の知識人としての責務とでも考えているようである。そんな行き過ぎとも言える理想主義が生む不幸があることにも目を向けて欲しいものだ。例えば、イスラム諸国と どのように共存し 平和な社会を作っていくのか。差別が全て悪と主張していたのでは 真の友情や連帯は 生まれない。互いに その違いを認め、相互に理解しあう努力が大切なはずだ。
差別をなくすために最大の努力を払うべきだと言う人も居るだろうが、ある小学校の運動会で「足が速いか遅いかで順位をつけるのは 差別だから みんなで手をつないで同時にゴールするようにしよう」という意見が出て その通りに 全員同時に ゴールさせたそうだ。そんな誤った差別に対する認識が この世の中に あるのも事実である。
豊かな現代社会において 女性限定、男性限定のクラブのような様々な選択肢があることは むしろ 好ましいと言う考え方があっても良いと思う。色々な考え方の人が友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあう。そうした中で、女性限定、男性限定のクラブが共存共栄することは 何ら問題のないことのように思える。長い歴史に支えられた文化に根付いた制度や慣習に垣間見える差別的なルールを非難するのは簡単であるが、それによって何を変えたいのか。仮に、日本国民の大多数が 霞が関 C.C. の女性が正会員になれない会則を問題視しないのに IOC が それを問題視するのであれば、IOCの主張は 今後 どこの国にも サポートされないものになり兼ねないだろう。オリンピックに 人々が期待するものは 一体何なのか。理想も将来の展望もないオリンピックであってはならないが、現実を踏まえた上で 開催国の文化や慣習に敬意を払う姿勢がなければ 平和の祭典であるべきオリンピック本来の使命を果たすことは出来まい。