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Pete Dye

ピート・ダイ (Paul "Pete" Dye) は 世界的に非常に知名度の高いゴルフコース設計家の一人であるが 実は 日本のゴルフコースの設計を数多く手掛けている。彼が 最初に日本で設計を手掛けたコースは 栃木県の日光市にある ピート・ダイ G.C. ロイヤルコースで 1988年に開場している。その後、彼か彼の会社 (ダイデザイン社) が設計に関与したゴルフ場が日本各地に 以下のとおり 次々とオープンした。ただ その一つで 茨城県にあった ヴィレッジクラブ 大子 ゴルフコース は 素晴らしいコースだったが 残念ながら 2014年に閉鎖してしまった。上は その 18番ホールのグリーンとクラブハウスの写真を背景にしたピート・ダイの画像である。それでも 彼が設計に関与した 計 21 のゴルフコースが日本のゴルファ-を今も楽しませている。

ピート・ダイ(ダイ・デザイン社)が設計した日本のコース・一覧

ゴルフ コース 名 所在地 開場
ピートダイ G.C. ロイヤルコース 栃木 1988
セントレイクス G.C. 三重 1989
かんなみスプリングス C.C. (注 5) 静岡 1989
エーデルワイス G.C. (注 4) 埼玉 1989
ピートダイ G.C. VIPコース 栃木 1990
オリムピック C.C. 山梨 1990
成田ヒルズ C.C.(旧 ザ カントリークラブ グレンモア) 千葉 1991
きみさらず ゴルフリンクス 千葉 1992
中京 G.C. 石野コース (注 1) 愛知 1993
JGM G.C. 笠間コース(旧 いわせロイヤル G.C. いわせコース) 茨城 1993
ウェストワンズ C.C. (注 4) 兵庫 1993
ヴィレッジクラブ 大子ゴルフコース (注 5) 2014年 閉鎖 茨城 1993
小萱 OGM チェリークリーク C.C. (注 5) 岐阜 1993
オリムピック・スタッフ C.C. 都賀コース (注 5) 栃木 1993
ゴールデンレイクス C.C. (注 5) 栃木 1993
ミッションヒルズ C.C. 埼玉 1994
メイプルポイント G.C. 山梨 1994
アルペン G.C. 美唄コース (注 3) 北海道 1995
札幌ベイ G.C. (注 3) 北海道 1995
ザ・サードプレース C.C. 雲出川コース (注 4) 三重 1995
埼玉ロイヤル G.C おごせコース (注 4) 埼玉 1996
和気愛愛 ゴルフ・ファーム倶楽部(旧 C.C. 桃太郎) (注 2) 岡山 1999
注 1) w/山田為志; 注 2) w/第一商会建設部; 注 3) w/ペリー・ダイ; 注 4) ペリー・ダイ; 注 5) ダイ・デザイン社

ピート・ダイが設計をして 最初に名門と呼ばれるコースになったのは 1964年にデザインに着手した クルックドスティック (Crooked Stick G.C.) である。後に、ジョン・ディリーが優勝した 1991年 全米プロゴルフ選手権で脚光を浴びたコースだ。他にも PGA / LPGA の大会で知られるコースで 彼の代表作とも言えるものに TPC ソーグラス (TPC Sawgrass) ハーバータウン (Harbour Town Golf Links) キアワアイランド オーシャンコース (Ocean Course at Kiawah Island) ウィスリング ストレイツ (Whistling Straits)ブラックウルフ ラン (Blackwolf Run) などがあるが 2019年末までに 彼が設計したコースで 29 回ものメジャー大会が行われている。

井上誠一
毎年、プレーヤーズ・チャンピョンシップが行われる TPC ソーグラスのアイランドグリーン (#17) は 最も恐怖心を覚えさせる ピッチングウェッジ ショット ホールだと言われているが 多分 このホールは 世界中のゴルファーに最も良く知られたホールの一つだと言っても 過言ではなかろう。オーガスタナショナルのアーメン・コーナーや フィニッシングホールなどと比べても ゴルファーの記憶に残るホールという観点からは 遜色のないものだろう。そんな 素晴らしいゴルフ遺産を残した男 それがピート・ダイなのである。

彼は 1925年 12月 29日に 米国 オハイオ州の アーバナ (Urbana) という町に生まれたが 小さな頃から父が自分の土地に造った 9ホールのゴルフコースで仕事をしたり プレーをして育ったそうだ。そうして、若い頃から ゴルフコースのメンテナンスの仕事に携わり 一方では オハイオ州の高校 ゴルフチャンピョンになる活躍をするなど ゴルフと深く関わる環境で育った。ただ、高校卒業後は 戦時中だったので 軍人のキャリアを模索したこともあったが 戦後すぐの頃は ノースカロライナ州 (Fort Bragg) の軍の基地内にあったゴルフコースのグリーンキーパーとして働いた。それが 名匠 ドナルド・ロス (Donald Ross) の設計したコースだったこと、そして、その近くにあった 同じく ロスが設計した名コースのパインハースト (Pinehurst No. 2) を当時は何度もプレーをしたという巡り合わせもあり ダイのコース設計には ドナルド・ロスの影響も少なからずある。

その後、退役して 大学に行ったが そこで後に妻となる アリス (Alice) と出会い 1950年に 彼女と結婚。二人の息子 (ペリーと P.B.) に恵まれた。そして、妻のホームタウンであるインディアナポリスに移り住み 保険のセールスマンとして生計を立てるようになった。そうした中、1958年には インディアナ州のアマチュアゴルフ チャンピョンになっている。因みに、1957年には 全米オープンに出場したが その時の成績は ジャック・ニクラウスやアーノルド・パーマーなどより良かったそうで ゴルフの腕前はプロ並みだった。

ピート・ダイがゴルフコースの設計家になる決断をしたのは そうしたことで意外に遅く 彼が 36歳の時である。その時、妻のアリスと二人でダイ・デザイン社をスタートさせた訳だが、そのファミリー・ビジネスが現在まで続いているのだ。当初は ロバート・ トレント・ジョーンズ (Robert Trent Jones) やアリスター・マッケンジー (Alister MacKenzie) のスタイルを積極的に設計に取り入れていたが 1963年にスコットランドに出向き クラシックなゴルフコース設計の知識、所謂、ポットバンカー、枕木のような木の使い方、小さなグリーンなどを取り入れた設計手法を学んだ後は 彼のトレードマークでもある アイランドグリーンや枕木を使ったバンカーなどのスタイルを多く取り入れるようになった。

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